歩平さんと語る
 

~ 日中関係の未来 ~

 
歩 平(ぶぅ・ぴん Bu Ping)さん
中国社会科学院近代史研究所所長。1948年生まれ。ハルビン師範大学卒業。1978年より1992年まで黒竜江省社会科学院歴史研究所で助手研究員、 副研究員、副所長、所長。1992年より2004年まで黒竜江省社会科学院副院長。2004年より現職。中国史学会理事。中国東北日中関係史学会会長。 日本語の著書に『日本の中国侵略と毒ガス兵器』(明石書店)、『未来をひらく歴史-日本・中国・韓国=共同編集』(共著・高文研)。
 

 

 【対 談】日中ともに市民の立場で多様な対話・交流を
 
2005年度の日中間の貿易額が7年連続で増加し、 過去最高と伝えられました。 一方、 05年10月、 小泉首相は、 中国、 韓国など近隣諸国の批判も顧みず、 首相就任以降5回目の靖国神社を参拝するなど、 日中間の政治的な対立は目立っています。 そこで、 5月14日、 藤沢での国政報告集会に、 中国社会科学院近代史研究所所長の歩平さんにおいでいただき、 日中関係の未来について話し合いました。 歩平さんは、 学者として、 日中韓の市民、 研究者が共同で制作した 『未来をひらく歴史』 の編集・執筆もなさっています。
 あらゆる市民どうしの交流と 理性的な対話を
 
阿部 日本と中国の相互理解のためには、どんなことが必要でしょうか。

  まず、 市民にできることはたくさんあります。 むしろ、 両国ともに国民としての意識にとらわれるより、 市民の立場から相互理解について考えなければなりません。 あらゆる市民どうしの交流や対話が必要です。

 私は、 学者として学問面で理性的に対話を提起しています。 たとえば、 中国、 韓国、 日本の専門家が共同編集した 『未来をひらく歴史』 の編集にも参加しています。
 この本は、 国の命令で作られたわけではありません。 中国、 韓国、 日本の市民レベルで、 東アジアの歴史認識について討論した友人たちが集まって、 若者にできるだけ自国中心の歴史教科書以外の知識を教えたいという思いから作ったものです。
 2002年の春から3年ほどかけて作ったのですが、 出版までの道のりは簡単なものではありませんでした。 参加者によって歴史認識にはさまざまなずれがあります。 そこで、 3年で12回の会議をもち、 1回に2、 3日と時間が限られているため、 工夫をし、 朝食後すぐから議論、 昼は弁当を食べながら議論、 夜も議論を続けました。
 本ができあがっても、 いくつかの出版社からは、 このような専門的な内容の本は売れないと言われました。 しかし、 学術的な本は通常2000部ほどしか売れない中国で12万部が売れました。 日本では、 初版2万部はすぐに売れて、 今までに7万部ほどが売れました。 韓国でも7万部ほどが売れています。

 

  最初はけんかする若者も 別れのときには涙
 
阿部 歩平さんは、 日本、 中国、 韓国の若い世代や学生同士が出会い、 お互いの歴史認識について話し合う場作りにも関わっていらっしゃるそうですね。

  『未来をひらく歴史』 を作るなかで、 毎年、 三国の青少年が交流する場をもっています。 最初はけんかも、 激しい討論もありますが、 1週間くらいでお互い理解し合って、 別れのときには涙を流す姿が見られます。 じっくりと交流するなかで、 友達になったのです。
 今年から、 編集に携わった市民や専門家は、 本を作るだけでなく、 若者同士の交流をはじめ、 いろいろな活動をしていきます。 また、 この本への批判にも応えていきたいです。

 この本について日本の参加者から、 東アジアの近代史、 戦後の問題についての記述が詳しくない、 朝鮮戦争や中国の文化大革命の問題への言及が少ないという指摘もありました。
 私たちが重視しているのは、 歴史的事実の共有によって、 徐々に共同の歴史認識を作り出すということです。 まずは、 あの戦争についての歴史認識が重要と考えましたが、 もちろん戦後の問題も考えなければなりません。

阿部 会場から 「中国の人は、 本音では日本人のことをどう思っているの?」 という質問がありました。 歩平さんは、 中国では、 親日派というと売国的というニュアンスが含まれるので、 ご自身を知日派という言い方にとどめていらっしゃるそうですが、 日本のなかにも 「あいつは中国べったり」 という言い方があります。

 

  中日ともに遺棄兵器・毒物で 新たな被害が生まれている
 
 「中国人」 あるいは 「日本人」 という言葉が示す範囲は広すぎると思います。 それぞれの人が相手国について知っている情報によって認識も変わってくるからです。

  たしかに、 戦争時代の負の影響は今も残っていて、 狭隘なナショナリズムとつながっています。 旧日本軍の遺棄した毒ガス兵器は、 今でも中国で新たな被害を生んでいます。 被害者が、 日本政府を訴えた裁判も、 まだ続いていて、 戦後補償問題は解決したとはいえません。 このことを知っていれば、 日本に対して本音ではいいイメージを持っていないことが想像できます。
 一方、 日本国内にも、 旧日本軍が遺棄した毒物により、 新たに健康被害を受けている人たちがいます。 そのことを知っている中国人の本音はまた違うと思います。 国民としての意識だけでなく、 戦争で被害を受ける市民としての認識をもつことがまず重要です。

 また、 1970年代に中日の国交が回復した直後、 当時の政治家は毛沢東も含め、 中日関係を守るために努力し、 いい関係が続きました。 しかし、 80年代に入り、 政治家の問題発言、 日本の歴史教科書問題、 靖国神社参拝問題が発生し、 日中関係が悪化しました。 ですから、 政治家の言動も重要と考えます。

 

  「おしん」 のふるさとに 行ってみたかった
 
  とはいえ、 80年代半ば、 中国では日本のテレビドラマ 「おしん」 が非常に人気を集めました。 たしか、 今も、 再放送をしています。 私は、 当時 「おしん」 を見て、 貧しいなかでも一生懸命努力する日本人を尊敬しました。 86年、 最初に日本に来たときは 「おしんのふるさとに行きたい」 と言って、 山形に行ったほどです (笑)。

阿部 まぁ、 そうだったんですか。 文化的な交流が盛んなのは、 嬉しいことですね。
 ところで、 政治のレベルで日中関係をみると、 小泉首相は、 まともな説明もせずに靖国参拝にこだわり続け、 国防では中国脅威論が煽られています。 軍事費の額を見れば日本の方が上なのですけれど。 日中間のパイプが細くなっていて、 なんとも心許なく思います。
 私も政治家の一人として、 たとえば、 エネルギー問題、 環境問題、 人口問題、 農業問題で、 政治的関係ができないものかということも考えるのですが、 歩平さんはいかがですか。

  エネルギー、 環境、 人口、 農業、 そして人権の問題は、 一国で完結する問題ではなく、 世界規模で考えるべき問題です。

 日本の市民が中国で地道に植林活動をしているように、 地球に生きる人間として関心を持つべき問題について、 両国の市民も政治家も一生懸命取り組むなかで、 中日の新しい未来がひらけると私は考えます。



(「阿部とも子News ともことかえる通信No.24」(2006年7月号)に掲載)