第169回国会 厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会 第1号(平成20年6月3日(火曜日)) 抜粋 案件:
臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(中山太郎君外五名提出、第百六十四回国会衆法第一四号)
臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(斉藤鉄夫君外三名提出、第百六十四回国会衆法第一五号)
臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(金田誠一君外二名提出、第百六十八回国会衆法第一八号)
〔前略〕
○吉野小委員長 次に、阿部知子さん。
○阿部(知)小委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。
本日は、六人の参考人の皆さんから大変に貴重なお話を伺いました。臓器移植法が施行されてから十年ということで、いろいろな角度からの見直しが必要である、しかし、国会の中の作業は残念ながら全くそれに追いついていないと。
ちなみに、私は、今上げられているA案、B案、C案のうちのC案の提案者でもありますが、例えば移植を受けた方のその後がどうであるか、あるいは、先ほど杉本先生がお話しになった、ドナーとなられた方の御家族がどうお考えであるかなどなども、私はこの国会にいて、実は一回も本当に論じられたことがないのではないかと思います。
その意味でもきょうは大変貴重でしたが、しかし、この席を振り返れば、参考人の皆様には申しわけないほどの少ない数での議員の意見聴取しかありません。
委員長にぜひともお願いしたいです。これは私と共産党の高橋さんがともにお願いしておりますが、こんないいお話を、できれば国会議員全員に聞いてほしいくらいだし、ぜひ本委員会でやっていただきたい。私は、きょうも、どなたのお話も胸に詰まりましたし、そしておまけに、人の死という世の中で最も大事なことが論じられる場が、こうしたまばらな小委員会で、聞き流すとは申しません、もちろん委員長が御報告をつくられると思いますが、じかに聞くのとやはり違うんだと思います。これは理事会でぜひ御検討もいただきたいことを重ねて申し上げます。
そして、きょうこの場所には、実はC案の共同提案者の金田誠一先生がおいでです。思い起こせば十年余の昔、中山先生のお出しになった案と、金田先生のお出しになった脳死を一律に人の死としない立場から臓器移植を考えるという法案の審議が、本当に真摯に行われました。今はもうお亡くなりになった山本孝史さんという議員も含めて、その当時の議事録を読み返すと、本当に真剣な、いわゆる真剣勝負の論議でありました。
私は、今の国会がスケジュールに追われ、時間のタイトさに追われ、人の死がこんなにも簡単に逆に変更されていくとしたら、これはやはり立法の越権、法の越権、国会議員の越権ですらあると思います。
そこで、井田参考人にお伺いいたします。
井田参考人は、先ほど、高橋委員の御質疑の中でも、今までの法体系とある意味で変わるところはないし、でも拡大解釈もできるというふうな、簡単に詰めて申しますが、お話をされました。
でも、今の法体系は、臓器移植を前提とした脳死判定と、そして本人同意に基づく臓器提供という二本の大きな柱を持っています。このたびのA案では、臓器移植を前提とせずとも脳死判定ができる法の枠組みをとっております。そして、本人同意は全く今度はありません。これだけ大きな法体系の変化を、私は、宗教者の皆さんがおっしゃるように、もう一度国民に問いかけることなく勝手にやっていいんだろうかと。
法学者の立場からどうお考えでしょう。
○井田参考人 私もまさにおっしゃるとおりというふうに考えまして、それは、正面からもしブレークスルーできるものであれば、今の、いわば、こういう言い方はちょっとよくないかもしれませんが、閉塞した移植医療のブレークスルーというのが、正面突破できるのであればそれはそれで望ましいことかと思います。
ただ、問題は、余りにも深い、あるいは重い問題であって、果たしてそれを臓器移植というこの場で議論するのが望ましいかどうかという問題はあると思うんです。非常にいろいろなところに影響することがあるわけだし、非常に医学的な問題でもあるし、果たしてそれを正面から、この臓器移植という場面で議論するのがいいかどうかというのは非常に疑問で、現に、ドイツでありますけれども、ドイツは、臓器移植法の法改正の中で一般の死の概念を決めるのはおかしいというので、それはまた別の問題として、臓器移植法ではそれを正面から決めるということをしなかったんですね。やはりそれは非常に賢明な態度であって、私もそういう考え方が基本的にはよいと思います。
それで、何を申し上げたいかといいますと、私も、学者として言えば、一律に脳死イコール人の死というふうに考えた方が、A案についてはそういう考え方をとった方が非常に平仄は合うというふうには思います。
ただ、他方で、現在、臓器移植法が施行されていて、そして、一定の要件ではあるにしても、脳死イコール人の死ということは認められているわけです。それで、では、人の死でないものを、それは本人がいいと言っているから人の死にしているんだという解釈、これまたよくない解釈で、やはりそれは人の死なんだろうと思うんですね。
ですので、そういう意味でいうと、脳死も人の死として現行法においては認められている、その要件、ハードルというもの、今非常に高いハードルがつけられているのを低くするということでありますので、さっき申し上げたように、私としては、必ずしもがちがちの議論をしなければこのA案をとれないというのではなくて、やはりA案自体、非常に結論がよいというのであれば、そこのところはもう一つまた別の形にしておいた形でこのA案をつくる、あとは解釈に任せる、あるいは今後の議論に任せるというのも十分可能なのではないか、こういうふうに考えております。
○阿部(知)小委員 先生のそのお考えには、恐縮ですが、どこかそごがあるように思います。だって、脳死を一律に人の死とするからこそ、医師が専権事項で判定できるようになってしまう法律がA案であります。ちなみに、現行では、移植を前提に、本人同意がある方の御家族の同意をもって判定するという三重のハードルがございます。
私はやはり、ドイツのように、ここで、臓器移植法の中で脳死は人の死だ論議をしてしまうと、ゆがむし、ひずむし、それこそ宗教連盟の稲さんがおっしゃるような問題が起きてしまうと思いますので、きょうはそれは私の意見で申し述べさせていただきます。
そして、あわせて、杉本先生とは昔から一緒に勉強もさせていただき、お教えも請いました。きょうの先生の御意見は、私にとっても非常に重いものでした。 思えば、あの当時から、三十年くらい前からと言ってもいいでしょう、また、あるいは脳死論議が盛んになった一九八〇年代、そして法案化に向けて脳死臨調が行われた九〇年代には明らかにならなかった二つのことがあったと思います。
一つは、長期の脳死例という存在です。
中村さんの有里ちゃんがそうであったように、恐らく私も杉本先生も、自分の目の前の患者さんでは、そうは言っても頑張っているな、長いこと脳死なんだけれども頑張ってくれているなと思う患者さんを見てきましたが、それはもしかして例外的かもねと思いながらやってきた。
ところが、特に一九九八年、UCLAのアラン・シューモンが百六十八例の脳死の長期生存例の予後、脳死で生きている人の予後というのを出したときから、やはりアメリカでも論議は変わり、当然、私ども小児科医師も長期の生存例の話はみんな経験するようになりました。
私は、この論議、脳死移植の前提に、やはりそれだけ概念が変わった、定義だって、先生がおっしゃるように、今の、脳が有機的統合体の中心で、ここがだめなら全部だめというのも違ったんだということを、もっと科学者たちはこの社会に発信していただきたいと思うんです。だって、全然伝わっていない。脳死になったら二日で死ぬとか一週間だとか、当時の論議でした。でも、違う事実がわかり、国民に知らされない。このことは大変に問題と思いますが、杉本先生、いかがでしょうか。
○杉本参考人 ありがとうございます。
非常に歯がゆい思いを持っております。この例えが正しいかどうかちょっとわかりませんけれども、最近常に思うことなんですが、一九八五年ごろの医療といいましたら、例えば染色体異常のダウン症の方の心疾患の手術すら、我々、断られました、国立センターというところで。それは、ダウン症だから要らないじゃないかと。それから、一九八〇年、九〇年までのテキストブックの中には、染色体異常の十八トリソミーという、手がこうなって生まれた方はみんな、冷蔵庫へぽんとほうり込むか、うつ伏せにして、そのまま死産の登録をするというふうなことが当たり前のように行われていたわけですね。
ところが、ことしのアメリカの小児科学会の中で、日本から、十八トリソミーで中学校へ行って走り回っているビデオをアメリカで見せたわけですね。アメリカでは、一週間でなくなる命だからもうそれは最初から生かさなくていいという、テキストに載っている例なんですね。ところが、そのビデオの会場があふれんばかりの人になった。つまり、日本からそういうビデオを輸出する形の中で、アメリカの中でもう一度、命というのは何なんだろうというふうな討論が行われています。
こういうことは、ほとんどわかっていないことだったと思うんです。本当に分娩室だけで処理されたような人たちが、今、小学校、中学校の養護学校に通っている、元気だという事実。
これは、今脳死で語られている一九八五年時代に決まった診断基準、我々も予期しなかった、阿部先生が今おっしゃるような慢性脳死の方が百人を超えて、しかも二、三割が在宅でやっている、それを支える我々の医療側の力が今あるということをいつも機に触れ折に触れ話しているんですが、なかなかのっからないそのまどろっこしさ。
そのことも含めて、先ほど来の話の、脳死イコール死ということになれば、臨床の場面で何が起こるかということは、もう想像するまでもないことだと思うんですよ。そのことを先生はおっしゃっていただきましたけれども、僕も歯がゆい思いですし、伝えていきたいということは折に触れ思っていますが、なかなか伝わらないということを申したいと思います。
○阿部(知)小委員 私は、国民的論議に付すためにも、真実を伝えるのが前提だと思うんです。
その意味で、福嶌先生にお伺いいたしますが、私は、先生の移植医としての誠実なお人柄も、先ほどの意見陳述も大変に参考になりました。ただしかし、もう一つ変わったこととして、当時、脳死になったら動かないし痛みも感じないし、要するにもう死と言われた方たちが、実際、ドナーで臓器摘出されるときになると、心拍は変わる、血圧は変わる、顔はゆがむ、そうしたさまざまな行動を示されるわけです。それを称して、いや、それは脊髄反射なんだ、脳死だから本当は脳は生きていないんだと。でも、呼吸器を外すと除脳硬直という、こういう格好をする。これは脳幹が生きているという証左です。
やはり移植医の先生たちも、例えば七十例のうち何例は麻酔を必要としたか。先生がおっしゃったように、筋弛緩剤、筋を動かなくする麻酔だってもし使えば、これは出なくなります。そして、それは誤解を招くから言わないんじゃなくて、国民に言っていただきたいんです。その上で判断することを私たちは国民に投げかけなきゃ、私というのはこの場合医者なんですけれども、と思うんです。七十人のうち、麻酔をして、それも全身麻酔のハローセンとかもありますね、でも、それは誤解を招くから使わなくなったじゃなくて、使わざるを得なかった例が何例か。特に高知の例は、最初、非常に脈拍も動いたし、血圧も動いたし、顔もゆがんだ、先生も御存じだと思います。
そのことを国民に知らせずして、私は、それでもなおC案というのをよくごらんになっていただければ、本人の厳密な同意で、理解した上で納得すればよしとする、そして、ほかの生体、組織ですね、骨とか皮とかにも本人同意が要るようにしましょうという案でございます。
知ってもらって選ぶしかこの場はもうないんだと思いますが、いかがでしょうか。
○福嶌参考人 まず最初に、除脳硬直のお話をしますが、除脳硬直があるもの、これは脳死ではございません。ですから、無呼吸テストをして除脳硬直のあったものは一切脳死判定の基準からは外れておりますので、脳死としては判断されていないというのが現実であります。ですから、実際に二回脳死判定を行いますが、そこでそういった反応はなかったというふうになっております。それは事実だと思います。
それで、あともう一つ、高知の例は、皮膚切開を入れますと、自律神経の反射というのは残っておりますので、脈拍が上がったり血圧が上がったりします。それで、本来そこで痛みをとめるようなハローセンを使うかどうかというのは非常にいろいろな意見がございます。確かに、一例目ですし、その辺の麻酔科医での合意がなかったということで、一例目でハローセンが使われたことは事実でございます。
その後、実際にどれぐらいハローセンが使われているかでありますが、私は大体四十五例ぐらいその中で立ち会っておりますが、最初の四例だけでございます。それとあと、フェンタミンが二例ほど恐らく使われていると思います。それ以外はハローセンも笑気も少なくとも私が立ち会った例では使っておりません。そのために血圧の変動が著しくなったり、術中に変わったことがあったということはありません。
筋弛緩剤につきましては、これは全例で使われております。というのは、先ほども申しましたように、それを脊髄反射という言葉で呼ぶかどうかというのはありますが、神経を刺激すると筋肉が動くというのは、脳と脳幹が死んでいてもこれはございますので、その状態で手術をすることはできないということで、筋弛緩剤は全例に使っております。
それでよろしいでしょうか。
○阿部(知)小委員 私は、そうしたことが国民に伝わっていないということを申し上げました。医者が勝手に、これは誤解を招くからと。だって、患者さんたちというか国民は、脳死になったらぴくりとも動かないものであると。それが脊髄反射かどうかは、科学はまだ証明していないんです。でも、証明していないからゼロベースかというとそうではなくて、こういう状態なんだけれども、七十例中全員に筋弛緩剤は使わざるを得なかったんだけれども、それでも自分たちの判定は今のところ間違いないというふうにきちんと情報公開すべきなんですね。それがなければ、やはり本当にやみからやみというふうに国民が思い、ひいてはドナーカードも出てこなくなるのだと思います。
そして、そもそも脳死判定の今の判定基準も、私は杉本先生と同じ考えで、一九八五年当時のもので、変えるべきだと思います。そうしたことがすべて明らかにならなければ、この移植医療が進んでいかないんだと。
最後に中村さんに、少々のお時間で恐縮ですが、伺います。
この中学生に渡されるパンフレット、私もこれは随分問題にしました。例えば三ページ目の「心臓死・脳死・植物状態って?」と三つ書いてあるところに、脳死は多くは数日以内に心臓がとまる、多くの国々では、脳死は人の死としていると。これは、脳死は数日以内でというところも真実ではありませんし、多くの国でどうかということと同時に、日本でどんな論議が行われたか。この日本の文化と伝統と社会の中に子供たちは育つわけです。坊やがこれをごらんになって本当に怒りの余り破いたというのも、実際に有里ちゃんのお兄ちゃんとしての日々があったからだと思います。
果たして、お母さんは最初、脳死という言葉をお医者さんからどう聞かれたか、そしてどう思ったか、最後にそれだけお願いします。
○中村参考人 娘が脳死と言われたときに、私は、一年九カ月前に、娘の脳死ということを通して脳死の真実を知ったというか、それまでは本当に浅はかな知識しかなく、やはりこちらに書かれているように、脳死とはもう三、四日、そのくらいで死に至ってしまうのじゃないかという、本当に、一般の主婦をしていますので、情報もなく、ただただそれだけの認識しかありませんでしたので、医師から、脳死に近い状態である、脳死状態であると言われたときに、確かにその時点ではもう絶望しかありませんでした。
もう三日か四日で有里は死んでしまうんだろうと思っていましたが、やはりいろいろなことを乗り越えてくれて、一年九カ月、こうして娘がいてくれた存在の大きさが私たちにいろいろなことを教えてくれましたし、私が当初思っていた脳死というのは間違いなんだということも気づきました。そして、私を取り巻く家族以外の知人や友人たちの家族たちも踏まえ、私たちが脳死ということを間違えて認識していたというのをはっきり知ったというか。
なので、もう一度国民の方々には、もっともっといろいろな情報を使いながら、脳死、ここに書いてあるような脳死ではない、脳死というのはこういう認識ではないということをたくさんの方に訴えていきたいと思います。そして、長期脳死児ということもたくさんの方に知っていただいて、たくさんの論議をして、国民の方々に、間違えた知識ではなく正しい知識を知っていただいた上で前向きな議論をしていただきたいと願っています。
○阿部(知)小委員 見目参考人には、お子さんを抱えて大変な日々と思います。きょうは貴重な御意見、ありがとうございました。
あと、稲参考人には、御指摘のような国民的な論議の場をぜひ国会議員もつくるべく準備をしたいと思います。ありがとうございました。
○吉野小委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
参考人各位には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。小委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。
次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
午後零時九分散会
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