第169回国会 厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会 第2号(平成20年6月10日(火曜日)) 抜粋

案件:

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(中山太郎君外五名提出、第百六十四回国会衆法第一四号)

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(斉藤鉄夫君外三名提出、第百六十四回国会衆法第一五号)

 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(金田誠一君外二名提出、第百六十八回国会衆法第一八号)

議事録全文(衆議院のサイト)
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〔前略〕

阿部(知)小委員 社会民主党の衆議院議員で、阿部知子と申します。私は、同時に、今回のC案の提案者でもございます。あそこの金田先生と私ども三人で提案いたしました。
 私は、三つにわたって質問をさせていただきたいと思います。
 一つ目は、脳死の定義ということであります。三十年前にほぼ全世界で定義が確立いたしましたが、この間、特に一九九〇年代後半から、脳死という診断のもとで長期に生存する患者さんたちの存在が明らかになりました。
 いろいろな判断基準の差によって患者さんの状態も違うということはありますが、しかし、特に我が国など、脳死という判定をされたとしてもそこで呼吸器を切ったりはいたしませんし、そうなりますと、最長十数年、二十年近い生存例もあるということでございます。こうしたことは、果たして、WHO等々では検証、検討されておりますでしょうかというのが一点目です。
 二点目は、このこととも関連いたしますが、二〇〇五年の二月から三月でしたか、バチカンにおきまして、各世界から、脳死の判定基準やあるいは倫理的、社会的、文化的な問題について、どちらかというと賛成的に臓器移植を進める立場の方と、いやいや、これはまだまだ判定も含めて問題が多いからもっとディスカッスした方がいいという方々がお集まりになって会議が持たれました。これは、各国の論者が集まられた大変に権威ある会議でしたが、このことについてもWHOは御存じであるか。ノエルさんのおられる部署とちょっと違うかもしれません、恐縮ですが、それが二点目です。
 それから三つ目は、私は小児科医ですので、親が子供の何を決定できるか。さっきのノエルさんのお言葉ですと、監督権があるとおっしゃいましたが、緊急に治療的介入をする場合は親は決定せざるを得ないわけですが、この脳死による臓器提供は、いわば子供の死を親が決めていかざるを得ない。親のいやしにはなったとしても、子供の生存権から見てどうであるかという問題が我が国では大変に深刻な論議の的になってございますが、この点についてはどうか。
 以上三点、お願いします。

ノエル参考人(通訳) 神経学的な基準による死亡判定、脳死ではなくてですが、というのも、これは一つの死亡であるわけですけれども、神経学的な基準でやるということは、無呼吸テストも入ってきます、これは酸素が不足する、そして、心血管ということに関して間断が生じるということであります。
 脳死の個人が長期間生存するという報告があって、そもそも最初に判定があったとき、本当に脳死基準を満たしていたのかというディスカッションがあるわけです。というのも、混乱を来すような、例えば植物状態ということを満たすための評価基準がすべて満たされていなかったのではないかとか。
 バチカンのディスカッションに関して伺いましたが、法王のアカデミア・フォー・ライフというのがあります。これが十一月に国際セミナーを行うのです、臓器提供それから臓器移植に関して会議を行います。そこでは死体ドナーからの臓器提供を呼びかけるような形で、エンカレッジする形で行われると聞いています。法王当局は臓器提供を大変支持してきています。
 先ほど申し上げましたように、この問題は、ただ単に臓器提供だけとリンクづけて見るべきものではありません、死亡の判定というのは。これは、ハイテクのICUなどで行われているケアを見ると、その範囲はずっと広いわけです。その技術を最適に活用するということも入ってくるのです。
 もし脳の状態に関して疑義が持たれたら、その血流に関して画像などで見られるものに関して、あるいはシンチグラフィーで見られるもの、これを二十分ごとに行って、心血管、脳の血流などが途絶しているかとか、そういったことに関してきちっと見なくてはならない。
 最後の御質問なんですけれども、ごめんなさい、ノートをとっておりませんでした。最後の御質問は何でしたか。

阿部(知)小委員 子供の臓器提供を親が代諾というか承諾する場合に、他の治療的な介入とはやはり違った側面がある、子供はそれによって脳死を経て心臓死に至るわけですから。そうすると、そこで親に与えられている権利というものは、ちょっとこれまでの、おっしゃった治療的介入とは違うのではないかと思いますが、いかがでしょう。
 親自身はいやされるかもしれませんが、子供自身、私は長期の脳死生存例の治療もしてきましたから、そういう中では、やはり親の思い、またその後、提供したとしても悩みが深いと思いますが。

ノエル参考人(通訳) まさに、だからこそ死亡の判定は独立して行われなくてはいけないのです。臓器を提供できる可能性があるということとは別に行わなくてはいけません。
 死亡の判定は客観的な評価基準に基づいて行われねばなりません。それは患者のケアを担当しているチームが行う。その後別のチームがやってきて、臓器を提供する可能性ということを話す。決してここに混乱があってはならないのです。
 はっきりした明瞭さ、明晰性を確立するために、科学的な文書化が必要です。あいまいさをなくすために必要でありますし、それを追求しなくてはなりません。もちろん、何かあいまいさがあれば、そのときにはその問題を考えなくてはいけないわけです。


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