第151回国会 憲法調査会 第6号(2001/5/17)抜粋

案件: 幹事の補欠選任  日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)

議事録全文(衆議院のサイト)
ビデオ(衆議院のサイト)

阿部委員 社会民主党・市民連合の阿部知子と申します。よろしくお願いいたします。

 まずは、きょうは、木村参考人にあっては、包括的なお話、大変御苦労さまでございます。一時間というお時間でも語り切れないほどのたくさんの内容をいただきまして、当憲法調査会のメーンテーマである日本のあるべき姿ということの中で、本日は、特に日本の社会のあるべき姿あるいは人のあるべき姿についてお答えをいただいたように思います。

 特に、私にとって印象に残りますのは、いわゆる二十世紀が、二つの世界大戦に人類が出会い、そのことをもって逆に福祉国家という、戦争する国家じゃない、福祉を実現していく国家というところに範を求めたけれども、二十一世紀はどんな範を国なり社会に求めるべきかという、根本的な理念のところでの問題提起があったように思います。

 私自身は、長く小児科の医者をやっておりまして、議員になり国会の場に臨みましたのはまだ昨今でございますが、実は、社会保障政策ということに関して、理念の部分できちんと論じられたことがないというのが非常に私にとっても不満でございました。

 例えば、社会保障という文言の中にも、今のこの論議の中でも、国がどこまで保障するか、あるいは社会がどこまで保障するか、そして個人がどこまで保障するか、これは、実はおのおの少しずつ位相が違うことのように思います。今までは、日本の社会の論議の中で国と個人しかなかったところに、もう一度、社会保障という概念を二十一世紀サイズに見合って考えようという問題提起をきょうは木村先生にいただきましたので、その点、まず一言お礼申し上げます。

 では、私ども社会民主党は、今、二十一世紀初頭に当たって、この社会をどのように考えているかということについて、多少自己宣伝になりますが、させていただきます。

 きょうの木村先生のお話の中でも、いわゆるヨーロッパのスウェーデンやドイツやイギリス、いわゆる社民主義が政権をとった国のモデルがございましたが、実は、おのおのの国にはおのおのの歴史があり、また社会の仕組みがあり、日本は日本で独自の社会民主主義的な枠づけを求めていかなきゃいけないと思っております。

 では、根本的に社会民主主義をどういうふうに考えますかといった場合に、これは、国の果たすべき責任と、先ほどの個人の果たします責任の間に、いみじくも社会というものをもう一つ想定いたしまして、そこの中で取り組んでいく役割をもう一つ置いたとお考えいただければありがたいです。

 今、二十一世紀の初めに私どもの世界並びに社会が直面します問題は、どこの国でもそうですが、高齢化の問題でございます。これはどこの国も、全世界的、そして環境の悪化という条件もございます。あるいは、国家間の戦争は確かに減りましたが、内戦や飢餓、難民の問題もまことに広く世界を覆っておる。

 そしてもう一つは、経済のグローバル化という中で、ある意味の競争社会は国境を越えて広がり、これはネギの輸入問題等もそうでございますが、経済がグローバル化することによって過剰な競争ということも現実にはございます。

 その中にあって、じゃ、私どもが社会的に何を保障していかなきゃいけないかといった場合に、特に、私は小児科の医者でございますことを申し述べましたが、実は中山先生も小児科のお医者様でございますが、今の日本の社会で子供たちが置かれた状況というものが、非常にこの社会のありさまを反映している。

 どういうことかというと、この数年、新聞報道、子供たちの虐待とかお母さんの育児放棄とか、そして、大きく言えば、少子化という現象も女性たちが産むことを選ばなくなったということでございますから、小児科医である私にはとても悲しいことであります。

 じゃ、振り返ってみて、女性たちが、これは国から押しつけられるのではなくて、あるいは共同体から押しつけられるのではなくて、自分が産むことを選んでよかった、楽しい、ラッキーと思えるような社会の仕組みになっているかどうか。私にとっては、きょう木村先生、お時間の関係で、女性の年金の問題等々、十分なことを展開されられませんで残念でしょうと思いますけれども、女性たちが本当の意味でいろいろな選択ができる社会を実現していくということを第一に置きたいと思います。

 ここからは質問という形にさせていただきますが、先ほどの共産党の方との討議の中で、私も、過剰に自己責任が強調されますと、女性たちは産むことに恐れをなすと言うと変ですが、気持ちの上で萎縮してまいります。それが今の、子育てもお母さんの責任であるとか、あるいは、明らかに子供を産み育てるというのは、経済効率から申しませば、効率だけの論理に従えば、はっきり申しまして効率は悪い。大きく言えば再生産をしておりますんですが、女性にとっては時間のロス、いろいろなキャリアのロス。でも、そういうふうに考えることは、私は悲しいことと思っております。女性が産むということといわゆる自己責任ということについて、まず木村先生のお立場を、ちょっと変な軸を設けて申しわけないですが、私は、余り自己責任という言葉を強調されることの中に、今女性たちが産むのはやめてしまおうと思ったら悲しい立場ですので、ちょっとお願いいたします。

木村参考人 阿部先生、ありがとうございます。

 先生がおっしゃってくださったことを、私、うまくとらえられたかどうか自信がありませんが、自己責任というのは、どういう社会でも、人間が生きていく上での原則である。そこから少しイシューを変えまして、では、今の女性が置かれている状況と、それから子育ての中で自己責任が強調されるとはどういうことなのかと、先生のお話を伺いながら聞いていたのです。

 まるで、育児も含めて子育てを全部自分のところでやってしまって、社会的には援助しないのだというふうに仮にとらえたとしますと、そういう意味での自己責任の強化というのは、今の社会には合っていないのじゃないかと思います。家族機能を側面で支えていくのだというのは、これは二十一世紀になると今よりももっともっと重要になると思いますし、育児の放棄とか育児そのものとか、そういったことにはかなり社会的にコミットしていかなければならない。

 税制とか年金とか、先ほどの年齢差別、四十歳になって大学とか大学院に女性が再入学しても、後でまた仕事を持って次の人生をやり直せるような社会をつくるというのは、これは一つの社会の目指す方向ではないかというように考えています。この分野で、今後は社会的な関与というのはむしろ強まってくるのではないかというふうに、あるいは強まらざるを得ないのではないかというふうに私は考えております。

阿部委員 実は高齢化の問題も、これは、私は医者の世界に属しておりますが、医師会の会長がうまい表現をいたしまして、病気というのは受益ではなくて受難である。いわゆる高齢化とか病気というのは、もちろんお元気な高齢な方は、先生もおっしゃるように、移動の自由も含めてある程度自由はございますけれども、病気になるということは、選んでなるわけでもないし、責任放棄した結果なるのでもないというところで、今の日本の社会の成り立ちは、そういうところに関してのセーフティーネットという考え方が希薄になりかけているのではないかという危惧を私たちは持っているわけです。

 例えば、御高齢者に自己責任感を強く訴えるということも、実は今の日本の御高齢者たち、私から申しませば、失礼な言い方ですが、けなげでいらして、むしろ、いろいろなことで国のお世話にはなるまいと思っていらっしゃる方の方がマジョリティーだと思います。いわゆる生保の受給にしても、生保を何とか受給しないで、でもかつかつのところで暮らしていられる方が多いのも事実ですし、むしろその意味で、日本人の品性というのは、生保なんて受けないでという形である程度守られてきたものもあったと思います。

 でも、時代が高齢化すれば、当然病もいたし方ない部分ですし、先ほどの子育ても、大きな意味でのセーフティーネットがないと、女性たちが産むことを選択できない、産む産まないは決めるのは女性ですが、選択できないと思います。

 その場合に、当然ながら、これから、子産み、子育てあるいは介護は地域が担う役割が大きいと思いますが、介護保険の導入を見ましても、実は、地方自治体、財源的な問題で大変に苦労をなさっております。確かに、一部事務業務も含めて、権限は地方に移管されましたが、財源的な措置は必ずしも十分ではない。国の中で、地方分権が言われますが、財源の問題についてはこれまで余り立ち入って提案がなされてございません。地方財源の検討委員会でも、いわゆる所得税を地方に一部移管するという御意見ですが、東京都のように働く人が多いところはようございます。しかしながら、さっきおっしゃった過疎、そうしたところも含めて考えた場合に、地方で介護や育児、そうした生活関連分野が実際に行われる財源手当てについて、先生のお考えを伺いたいと思います。

木村参考人 この問題は、先ほど藤島先生がおっしゃった問題とも絡んでくると思うのですが、地方分権で、地方が自主財源を持つということは、これは非常に重要であると思います。どれぐらいの規模であれば自治体が自主財源を持つことが可能なのか。どのような税源であろうと、かなりの程度可能になるかということは、これは全国自治体を二百ぐらいにする方が、議論としてはすぱっといくと思いますが、現実はそういうことではないかもしれない。

 もし、ないかもしれなくて、基礎的な自治体の仕事として何が残るか。私は、問題意識としては、人口数百人、数千人の町で本当にやらなければならない仕事とは何か。それはやはり教育とか介護とかごく少数の仕事になってまいります。

 では、将来的に、そういう仕事が基礎的な自治体の仕事として残って、例えば、先ほど申し上げましたように土木のような仕事は県とか郡に持っていくとしましても、そういった仕事について、小さい自治体では自主財源を持てない可能性もあるということは出てまいります。

 そういうときには、私は一つ考えますのは、介護保険、あれは結局は全国的な介護を目的とした財政調整の制度でありますので、支出の保障的な部分については、ああいった保険ということでかなり保障される部分があるのではないかというふうに思います。ただ、今の介護保険、保険者である市町村の規模については、先ほど申し上げましたような、人口が日本じゅうででこぼこに、あいているところも、すいているところも、緻密なところもなっていくという状況の中では、国民健康保険とあわせまして、保険者の規模は市町村の合併とは別に考えていかなければならないだろうと考えています。

 以上です。

阿部委員 私に残されました時間がもうほとんどございませんので、先生の論文の中で一つだけ私が気になる部分、私も医療分野ですので、いわゆるNPOあるいは国という提供主体、公という提供主体だけでは、実は医療や介護という分野は私はうまく運ばないだろう。もう一つ、いわゆる生協方式のような、出資金を出し合って地域で支えるという仕組みを私自身は考えておりますが、時間との関連で、提案とさせていただきます。

 ありがとうございました。

第151回・第152回国会 国会活動コーナーに戻る   阿部知子のホームページに戻る