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ayumukai.brog

地元でのイベントです。
お運びください!

国政報告会
■8月30日(土)14:00〜15:30
御所見公民館・第2談話室
■9月28日(日)10:00〜11:30
湘南台公民館・第1談話室

松延康隆の歴史講座 NO.5
■9月20日(土)14:00〜16:00
妙善寺 信徒会館
(参加費:300円)
⇒詳しくは、チラシをご覧ください。

講演会「福島を忘れない」
■9月15日(月・祝日)13:00〜15:00
藤沢市民会館大ホール
講演
南相馬市長 桜井勝延さん
作家 澤地久枝さん
⇒詳しくは、チラシをご覧ください。

タウンニュース114
タウンニュース誌掲載
「小児科の窓から」はこちらから

◇超党派「原発ゼロの会」ブログ

◇立憲フォーラム公式サイト

◇チャイルドライン支援センター

アフガニスタン
《アフガニスタン報告》
アフガニスタン訪問の報告は
こちらです!

取り組み
《子どもへの取り組み》
子どもへの政策面での取り組み
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〒251-0025
神奈川県藤沢市鵠沼石上
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あべともこ/こどもクリニック

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あべともこ最近の行動

8月21日 草津にあるハンセン病療養施設「栗生楽泉園(くりうらくせんえん)」訪問。

【栗生楽泉園の成り立ち】
古くから草津温泉は皮膚病に効くと有名な湯治場でしたから、自然発生的にハンセン病の患者さんたちが集まり、明治20年には湯之澤部落という集落が作られました。イギリス人宣教師コンウォール・リーの指導の下、貧しい患者のホームをはじめ、病院、学校なども作られ、患者自由療養地として他の温泉施設と共存していたのです。けれどもライ予防法制定により、この地にも収容施設としての栗生楽泉園建設が決まり、昭和7年、湯之澤部落は解散・集団移転を余儀なくされました。その際に資力のある患者には「自由地区」を設け、家の移築や新築、配偶者の受け入れ、外界との自由な往来も認めるなど、強制収容の患者と比べて特異な待遇もありました。 昭和19年には入所者1、335名とピークを迎えます。戦後、新薬による症状の軽快や完治が可能となったにもかかわらず強制収容は継続されましたが、徐々に時代錯誤とする国際的な動向や患者自治会運動の高まりを受け、平成8年にようやく「らい予防法」が廃止。その後の国賠訴訟の勝訴、国による謝罪・補償を経て、現在は入所者96人、平均年齢84.5歳と高齢化する中、介助の必要な人28人、病棟に入院加療者は23人と、さながら「老人施設」の様相を呈しています。

【ハンセン病とは】
「らい菌」に感染することで起きる病気で、発病から早期に治療を行わないと手足などの末梢神経が麻痺し、痛い、熱いなどの感覚がなくなったり、変形したり、失明に至ることもあります。かつてはらい病と呼ばれていましたが、1873年にらい菌を発見したノルウェーのハンセン氏の名前をとり、ハンセン病と呼ばれています。 1943年にプロミンという薬ができ、日本でも戦後、徐々に患者に使われるようになりました。その後の薬の開発により、早期に治療すれば手足に後遺症を残すことなく治る病気に。現在新規の患者は年間3,4人と言われています。

【強制隔離の歴史】
19世紀後半にはハンセン病はコレラなどのような恐ろしい伝染病と考えられ、家を出て放浪する患者さん達が少なからずいました。1907年(明治40年)、こうした患者さんたちの収容を目的に「ライ予防ニ関スル件」の通知が出されると徐々に収容化が拡大・加速、1931年(昭和6年)には全ての患者の隔離を目的に「ライ予防法」(昭和28年に一部改正し「らい予防法」)が制定され、療養所が全国数カ所に作られると、その前後から吹き荒れた患者ゼロを競う「無らい県運動」の高まりと相まって、ひっそりと療養生活を送っている患者さんの所にも警官隊を伴った保健所職員が乗り込み、家を真っ白になるまで消毒したあげく、強制的に「連行」していくようになりました。 こうした光景が国民にハンセン病は恐ろしいというイメージを植え付け、偏見や差別を助長したことは想像に難くありません。2003年には熊本県のホテルが元ハンセン病患者であることを理由に宿泊を拒否する事件が起こり、抗議した患者さんたちに避難・中傷の言葉が浴びせられました。現代でも差別と偏見は根深く続いているのです。
阿部とも子はハンセン病問題の最終解決を目指して2001年4月に結成された国会議員懇談会の立ち上げ時からのメンバーです。国会議員懇談会は患者自治会の皆さんと歩調を合わせながら、政府による謝罪と補償を勝ち取る原動力となりました。

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栗生楽泉園長、東正明医師(右から2番目)と。
療養所の診療科は内科、外科、整形外科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科、リハ科。医師の確保が大変と。右端は平塚市議の江口さん。左はあべともことともに歩む会メンバー、伊藤さんご夫妻。
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介助の必要な不自由者棟(193床)。
手入れの行き届いたひまわりやカンナがきれいに咲いていました。先方に見える赤い屋根は一般住居棟(118棟)。その他に50床ずつの病棟が2棟ありますが、現在は1棟しか使われていません。下地区には「自由地区」がありますが、今はわずか5世帯(夫婦2、単身3)のみです。
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舌や唇用の点字版。
ハンセン病は病気の進行と加齢により失明に至る場合もあります。ある日突然眼の痛みを訴え、一晩で失明するケースもあるそうです。指先の神経も麻痺してしまうため点字を読むことができず、痛みをこらえ、血を流しながら舌や唇で文字を読みました。
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様々な宗教施設。
ここは一般棟にほど近い天理教あけぼの会。他にも真宗大谷派の大谷光明寮、日蓮宗の妙法会堂、真言宗の太子堂、キリスト教の聖慰主教会など。いずれも敬虔な信者が今日まで守ってきました。
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胎児供養碑
らい患者根絶の手段として「断種・堕胎」が公然と行われました。結婚はできても子どもを作ることは許されなかったのです。1930(昭和5)年から1950(昭和25)年にかけ、多くの胎児がホルマリン漬けのまま検査室などに放置されました。碑には「命カエシテ」と刻まれています。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               
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重監房跡地
谷沿いに切り開いた荒れ地に高さ4メートルのコンクリート塀を巡らし、その中に8箇所の粗末な監房が立てられました。名前は特別病室でしたが、全国の療養所から送られてきた反抗的な患者に厳罰を処すための施設でした。冬場は零下20度にもなる中、延べ93人が収監され実に23人が亡くなったそうです。自治会の熱心な保存運動で跡地が公開され、資料館も4月にオープンしました。説明してくださった北原さんは元職員でしたが、大学に入り直して学芸員の資格を取ったそうです。


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