第151回国会 厚生労働委員会 第15号(2001/5/29)抜粋 案件: 政府参考人出頭要求に関する件 確定拠出年金法案(内閣提出、第百五十回国会閣法第二一号) 厚生労働関係の基本施策に関する件(ハンセン病問題について)
○阿部委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。
きょう、半日にわたりまして、ハンセン病の特別審議の場に私も参加いたしまして、やはり問題が余りにも大きく、そして私どもの到達地点が余りにも低いということを再確認いたしております。
特に、本日、坂口厚生労働大臣は、いつもこの間そうでございましたが、非常に前向きな姿勢でございますが、厚生省の各担当の方々からの御答弁と申しますのは、患者さんにしてみれば、厚生省とはかかる役所であるのかという思いをまた一層深めたと思います。
私は、このハンセン病問題で特に厚生省が行政的になすべき反省点並びに点検点は、大きく二つあると思います。一点目は、まずハンセン病が隔離政策という政策の中で行われた伝染病への取り扱いであったこと。いま一つ大きいのは、根絶政策をもって行われた対策であったことの二点だと思います。
そして、前半の隔離政策について、篠崎局長にお伺いいたします。
私は、きょうの御答弁を承りまして、到底納得できるものではございません。特に篠崎局長の答弁は、治る見込みがついたときに隔離政策を解くというものでございます。では、果たして、治る見込みのない者あるいは治る見込みが完全につかない者は隔離政策せねばならないのか。このことは物事の考え方で非常に大きいものでございます。病を抱えながらも、ある程度の伝染性が他に広く害を及ぼすものでなく、またおのれの健康上も管理できれば、当然それは在野にあって、普通に生活することの中で治療もなすべきことでございます。
実は、坂口厚生労働大臣の御指摘の中にも、既に昭和二十五年の時点で、当時の小川結核予防課長は、新らい予防法の成立にあって反対の見解を述べられました。それは、在野にあって隔離せず治療した方がよろしいと。
すべての我が国の感染症対策が、治るまでは隔離するという考え方に基づいてなされたことが大きな過ちでもございます。そういう観点に立って篠崎局長が現時点で長きにわたる厚生省の行政を点検しない限り、幾つものチャンスがあったにもかかわらず、一九九六年までこの隔離という法律を実施されてきたことの厚生省としての責任は問われません。
まして、一九八一年をもって、多剤併用によって完治の見込みがついた時点をもって方針を変えたというのは、もってのほかのことでございます。完治の見込みは隔離の必要性とはパラレル、平行。イコールではございません。
この点について、特に厚生省行政のお立場から見解を一言お述べいただきます。
○篠崎政府参考人 先ほど申し上げましたのは、らいの予防法につきましては、その時々の医学的知見に基づきまして弾力的にその運用を図ってきたということを申し上げたわけでございます。
また、大臣も申されましたように、ハンセン病治療医学の観点からいたしますと、昭和二十年代のプロミンは静脈注射でございますし、毎日打つような静脈注射でございました。それから、三十年代になりまして、DDSというもののほかのサルファ剤で経口投与、口から飲んで治療をするというようになりました。また、四十年代には、抗生剤、それまでのサルファ剤は、いわゆる静菌作用と申しますので、先生も御承知だと思いますが、そういうようなことから、時代時代において、医学的な知見に基づきまして弾力的な運用を図ってきたということを申し上げたわけでございます。
○阿部委員 時間がないので、途中で済みません。医学的な知見、すなわち治ることイコール隔離政策ではないということについての指摘をいたしました。的を射ぬ答弁で時間を費やすことはやめていただきます。
二点目、いわゆる根絶政策、優生保護法、らい、三条三項の問題でございます。
これも前回私が御質問させていただきましたが、実は、このらいを理由とした優生保護法の適用というのは、既に昭和二十七年段階のWHO勧告においても、世界の国々では、子供たちへの感染を予防するために、生まれた子供たちを別途に保育するシステムを推奨しているにもかかわらず、我が国は、生まれた子供にうつるということ、そして、それ以前に体質的にらいが遺伝するかもしれないという考え方をもちまして、むしろ根絶政策をとりました。
きょう御答弁をいただく時間はございませんが、隔離政策並びに根絶政策ということが我が国厚生行政の中心になったということを、深く反省のもとにしていただきたいと思います。
そして、最後に一点だけ私はきょう坂口厚生労働大臣に、申しわけありませんが、この件と多少ずれますが、お願いいたします。
私は、きのう千鳥ケ淵の戦没者慰霊祭に行ってまいりました。そして、(写真を示す)ここにございますように、いわゆる六角堂という中に納骨されております柱が三十三万五千柱、ただし、この六角堂内に収容し切れずにあふれ出たお骨が六角堂の後ろにございました。どなたのお骨やらわからない。あるいは南方で御家族を亡くされた方たちがたくさん見えていて、なぜ六角堂の中でないのか、後ろなのか。後ろはやぶでございます。そこには桜の木があって、そのお骨の上で人々が花見をしている。そして、そのことを申し立てて、やっと一枚の看板が出ました。これが日本がこの戦争で名も知れずに亡くなっていった方たちを遇する方法であるのか。
申しわけございませんが、時間がないので、この事実を坂口厚生労働大臣が御存じかどうか。そして、今、靖国参拝問題で世の中は行くの行かないのやっておりますが、無名の名もなく亡くなった方たちに国がいかなる遇し方をするかはハンセン病問題でも同じでございますので、追ってまた次回、きょうは、厚生労働大臣がこの事実を御存じであるかどうか。あふれて後ろに納骨されておる。そこはお花も供えられなければ、人が踏むことすらある。そのことについての御認識ありや否やだけお願いいたします。
○坂口国務大臣 全く存じませんでした。直ちに調査いたします。
○阿部委員 どうもありがとうございました。