2020/12/15

生れくる子の生命を選別させないために

生れくる子の生命を選別させないため 

 去る12月4日、衆議院では事実上の国会最終日を迎えました。コロナ感染症拡大の中での国会閉会に反対し延長を求める野党提案が議院運営委員会で否決されたことを告げる議長の報告に引き続いて、いわゆる「生殖補助医療における親子関係法案」の採決が行われ、共産党を除く自民、公明、立憲民主、維新、国民民主党の各会派が賛成し、成立することになりました。

 私は同法案が立憲民主党も加わる5党が共同提案する議員立法として、今国会中にも成立させたいという党執行部の意向が伝えられた10月下旬から、一貫してこれに反対し、この法案の持つ種々な問題点を指摘し、十分な関係各方面のヒアリングと党内周知徹底を求めて、数回に亘り意見書も提出しました。主な議論の場は党内の厚生労働部門と法務部門の合同部会という形で持たれましたが、急に決まるスケジュールと直前の連絡で、当の部会に所属するメンバーすら出席しない状況のまま、執行部一任が繰り返されました。どんなに異議を申し立てても、法案を共同提案する事を含めて文言の一言一句たりとも変えられない、という硬直した態度をとり続けた執行部でした。

 各団体や有識者からのヒアリングで、様々な懸念や急ぐべきではないという意見が出されても立ち止まることなく、とにかく成立を図ろうとする態度は納得できるものではありませんでした。

 そんな中、11月12日に開かれた日本弁護士連合会からのヒアリングにおいて、基本理念とする、「生殖補助医療で生まれる子が、心身ともに健やかに生まれ、かつ育つよう配慮すること」という3条4項の条文が、「障害や疾病のある子の出生を否定的に捉える懸念がある」という指摘があり、私他2名の議員で、この3条4項の削除を求める意見書を厚生労働部会、法務部会、ジェンダー平等推進本部そして、党の政務調査会に提出したのが11月20日でした。

 折しも同様の削除要求は連休明けの11月24日、日本障害者協議会(JD)を皮切りに、神経筋疾患当事者や、障害者団体の連合体であるDPI日本会議からも声明が出されました。

 しかし既に法案は11月20日に参議院法務委員会で可決しており、法文の削除は出来ないとして執行部はこれに対する誠実な対応をすることなく、12月2日衆議院法務委員会でのわずか2時間の審議で可決、12月4日の本会議となりました。参議院法務委員会での質疑も2時間半、衆参ともに参考人からの意見聴取や厚生労働委員会との合同審査というプロセスを経ることもありませんでした。わずかに参議院では『AIDで生まれるということ』の編者や生殖補助医療の問題点を指摘する研究者が参考人として呼ばれ、衆議院ではAIDで生まれた当事者や子どもの出自を知る権利について2003年の厚生科学審議会で発言してきた研究者が同じく答弁者として出席するという変則的な形での審議となりましたが、問題とされる第3条4項の削除を求める障害当事者はここでも意見を求められることはありませんでした。

 なぜ障害当事者がこの「心身ともに健やかに生まれ」という表現に優生思想としての危険性を感ずるのか、そこには1948年に成立した旧優生保護法の「不良な子孫の発生予防」や1970年心身障害者対策基本法の第一条「障害者の発生予防」というように、障害をもって生まれることを排除しようとする立法がくり返されてきたことがあります。

 ちなみに旧優生保護法は1996年に廃止され、心身障害者基本法も2011年の障害者基本法で「障害の原因となる疾病の予防」と改正されますが、旧優生保護法によって多くの障害者が不妊手術を強要され、また心身障害者対策基本法は各都道府県での「不幸な子どもの生まれない運動」への取り組みへとつながっていきます。

 今回の「心身ともに健やかに生まれる子」という言葉はそれが立法の中に入り込んだ時には今度は生殖補助医療の方向性を、例えば「流産、死産、短命の児を出産しない為の着床前診断」等として障害の未然防止へと向かわせることになりかねません。その懸念は決してイデオロギー云々ではなく、何らの法的規制のない生殖補助医療の現実の姿でもあります。

 こうした障害者の抹殺、排除という思想をはらんだ法律がなぜくり返し登場するのか、その背後には生命倫理に疎い国会と超党派の議員立法という「落とし穴」があるように思います。

 議員立法は政府が提出する閣法とは異なり、おおむね各党の党内合意を得て、また与野党の対立を超えて真に必要な立法を実現するための大切な手法ですが、その半面多様な意見や存在が踏まえられなければならない生命倫理関連の法案では反省すべき過去の過ちを繰り返していると思います。

 1948年の優生保護法も議員立法で参議院での質疑時間は約20分、衆議院では15分で、全会一致で成立。また、1970年の心身障害者対策基本法も実質審議はなく全会一致で、それぞれに施策を前に進めるよい法律と考えて成立させたものでした。

 唯一例外的と言えるのが1994年提出の議員立法による臓器移植法で、これに先立つ1990年には首相による脳死臨調が設置され国民的議論が喚起され、1997年の成立まで2度の修正が加えられるなど、国民に開かれた、かつ慎重な審議の結果であったと思います。敢えて言えば、生命倫理には国民との対話が不可欠とも言えます。

 今後ますます私たちの生命にかかわる技術は進歩し、それを私たちの社会がどう受け止め、また守るべき規範が何であるのかは国民の合意も含めて十分に開かれた議論が必要になります。

 まずは今回障害者団体から優生思想と指摘された3条4項の削除を早急に行うとともに、2年をめどの検討とされた生殖補助医療において何を認め、又何を規制していくのか(例えば代理母、子宮移植、卵子の操作etc)、また何よりも親子関係の一方の当事者である子どもの、自らのアイデンティティーの確立のための出自を知る権利の保障などについて、しっかりと整備されていくよう国会の総力をあげて取り組むべきと考えます。

衆議院議員 阿部知子